先日観たDVDの「きみに読む物語」の宣伝に、今まで全米で最高だった「マディソン郡の橋」の観客動員数(1200万人)を超えたと出ていた。確かに良かったけれど、私的には「マディソン郡の橋」を超えていない。
平成8年の母の日のプレゼントに長男から「マディソン郡の橋」のビデオを貰った。私がリクエストをしたのかどうかは忘れてしまったけれど、感動した映画だった。10年も前のものなのに時々見返している。「原作を読んでから映画を見るか?」「映画を見てから原作を読むか?」こんなキャッチ・フレーズが良く言われるが、私は映画を見てから、原作を読んだ。何度も繰り返しビデオを見て粗筋も、成り行きもすべて承知をしているのに、本を読んで又新しい感動を得るという、良い作品だった。
※プレゼントのビデオ・DVD・本
昨年だったか、H子さんに「今までに観た映画の中でお勧めがあれば・・・・」と聞かれて、一も二もなく「マディソン郡の橋」を推薦してDVDと原作をお貸しした。100人いればそれぞれの違った感想があって言いわけで、H子さんのそれは私と異なるものだったらしい。返却の時には私の期待の言葉(感想)はなかった。周平さんでは一致したのに・・・・・。
「マディソン郡の橋」に戻るが、アメリカ・アイオワ州デイモント市郊外マディソン州の殺風景な小川にかかる屋根つき橋を撮影に来た中年カメラマンと近くの農家の主婦とのラブ・ストーリー。たった4日間の出来事なのだが、運命的な出会いをしてしまう。
訳者のあとがきに「・・・・・・フランチェスカとキンケイドの物語を理解するに、そのために必要な優しさを持つには、私達には至難の技なのである」とあった。そうだろうか?私にはよく理解出来た気がする。長いこと、よき妻であり、よき母であり、それを当たり前のように頑張って過ごして来て、子供達は成人してもう自分を必要としない、夫も安心しきって家庭のことを、すべて任せきっている。不満だってあるのに気付こうとしない・・・・・。少しは振り向いて欲しい。分かって欲しい。そんな時に村にやってきたカメラマンと出会うのだが・・・・・・。
今までの長い道程は、あなたに出会う為の時間だったと、村を一緒に出て行こうと約束をするけれど、待ち合わせの場所には出向かず、雨の降りしきる中を、夫の車の助手席に乗って交差点で止まったときに、彼の車が前を走っていて、ワイパーが雨をはじく度に彼の横顔やバック・ミラーに手をかけるしぐさが、はっきりと又雨にぼやけて、ドアに手を掛けて飛び出そうと決意する何秒かの瞬間に信号は青に変わり、互いに違う方向へ・・・・・・。
フランチェスカが命を閉じる時2人の子供に、運命のように出会い、人間らしく生きることが出来た4日間を過ごした、あのマディソン州の小川にかかる屋根つき橋の河原に散骨をして欲しいとしたためた遺書を残していく。
「ただの不倫でしょう」といった人もあったが・・・・・。そういう解釈もあるか。いろいろあって良いのかもしない。「マディソン郡の橋」・・・・・もう、私卒業します。