霜月2日は友人の100日忌でした。
ふつうは49日忌に天国に旅立つと言われ、それぞれにお別れをして心の整理をつけますが、友人の「死」はあまりに早くあっけなくてお嬢さんから49日法要を済ませましたと連絡を戴いても私にはなかなかお別れが出来ないままでいました。
私はようやく100日忌で本当のお別れをしました。
彼女と出会ったのは16年前の事でした。RDサークルへ参加をしてその会で出会いました。どうしたことかとても気が合ってお付き合いが始まりました。気持ちが優しく穏やかで私にとっては心の休まる、彼女の前では自分をさらけ出し、自分らしくいられることが出来る大切な友人でした。年齢は私より下なのにしっかり者、頼れる先輩でサークル活動でどこへ行くにもスケジュールを立ててくれて私はすべてにすっかり頼り切っていたように思います。

今日はサークルの想い出写真をすべて取り出し、ご一緒した活動を思い出していました。団体写真の他にスナップ写真もいっぱい彼女と写っています。まだまだたくさんの思い出と共にあの時Sさんは・・・とか、こんなこと言っていたわ・・・とか思い起こしております。
1年8カ月ほど前、胸部に異常を感じて検査を受ける時、「PET検査を受けるんだけれど・・・・」と静かに話されて、それまで彼女から何も健康不安については話して貰っていなかったのでびっくりしましたが、私はさほど深刻とも思わないでいました。アメリカでは大ていの人がこの検査を受けていると聞いているPET検査(陽電子放射断層撮影)ですが、ガン細胞にマークを付けて小さなガンを見つけ検査を続けていくやり方と認識していましたが、私の周囲ではあまり聞いていないし、友人の中ではPET検査を受けたのは彼女が初めてでした。検査の結果数値が良くないのよって・・・。抗がん剤で治療、数値を診ながらの治療へと・・・。薬が合わないで苦労をしている時期もありましたが弱音を吐いたことは一度もありませんでした。3月1日入院、2日オペでしたが、どんな時でも前向きな彼女でした。オぺが決まった時、その時もとても落ち着いていてこちらの方がドキドキしていたことを思い出します。
彼女とは沢山の思い出があります。RDサークルのクリスマスパーテイの帰り東京駅のライトアップ(ミレナリオ)を彼女のパートナーのKさんと3人で繰り出したこと、お嬢さんがお仕事の都合で独立してマンションを借りた場所が麻布十番、どんな街に生活するのか気がかりだったのでしょうか?行って見たいと二人で出かけたこと、「絵画鑑賞」は二人の共通の趣味で声を掛け合っては出かけていました。ミュシャの展覧会「スラブ叙事詩」を忘れずに見てね!が最後に奨めてくれた展覧会になりました。


頂いたお葉書は、いかにもSさんらしさが溢れています。「ピーターラビット」の作者のビアトリックス・ポターの生誕150年というと先を越されてピーター・ラビットの絵葉書が届くのです。実にいろんなことが行き届く人でした。こころに余裕があったという事ですね。とても足元にも及びません。このお葉書↑が最後に頂いたお葉書です。 私の最後の手紙は亡くなられた朝に配達されSさんには読んで貰えなかったようです。お嬢さんに通夜の日に伺いました。神楽坂を散歩しようという約束も果たされないままになりました。
最後にお会いしたのは6月5日慶応大学の校友会のファカルテイ・ラウンジでのランチでした。静かでゆっくりお話しできるからと彼女が予約を入れてくれました。退院して自宅療養になってからは長電話をし合っていましたのに、5日も話が尽きなくて食事を挟んで3時頃までよくお喋りをしました。帰り際に「ちょっと地味目だけれど、私が気にいって買った御扇子使ってね」と「まだ暑い日もあって使うだろうから」と私・・・押し問答。遠慮しながらも結局頂いて帰りましたが、形見になってしまいました。
今日は友人を偲んですごしたちょっと寂しい一日でした。いつも前向きだった彼女に笑われないように無理をしないで頑張ります。