岩国・錦帯橋へ
延宝元年(1673年)岩国藩3代藩主吉川広嘉によってかけられた5連の木造橋で日本3大名橋一つ(ちなみにあと二つは日本橋と長崎の眼鏡橋)平成16年には半世紀ぶりに架け替えられました。釘を一本も使っていないそうです。見事な曲線を描いています。
槍倒しの松
対岸のふもとに槍倒しの松がありました。この松については良く義父に話を聞いておりました。吉川家の鬱憤晴らしだったそうです。吉川家は3万石の大名でしたが、大名として認められず、大名が参勤交代の為に他国の城下を通る時には大手門の前で槍を伏せて通過するのが礼儀とされているのに本家の毛利家がここを通過するとき槍を伏せず、そのことを知った他の大名も吉川家を無視して槍を伏せなかったそうです。吉川家は街道の松の枝を横に伸びるようにしその枝が邪魔で通れないと仕方なく槍を伏せて通ったそうです。それで槍倒しの松です。すぐ傍には佐々木小次郎の柳が植えてありました。
臥龍橋
錦帯橋のひとつ西にかけられた橋が臥龍橋。義父の生まれ育った川西町です。叔父に教わった通りに錦帯橋を渡り西側へ桜並木を10分ほど歩いて橋に着きました。錦川沿いの桜(3000本)が植えられてあるそうです。桜の見頃はさぞかし立派だろうと想像がつきます。今は菜の花・木瓜・早咲きの桜・・・いろんな春の花が咲き乱れておりました。錦帯橋から15・6分位かかったでしょうか??
近ノの森神社
臥龍橋へ向かう途中の道すがら・・・古いお社があり寄ってみました。義父が幼い頃こんな所でも遊んだかしら?と思いを馳せながら・・・松ぼっくりがたくさん落ちていましたので拾ってきました。義父も昔々やはり松ぼっくりをひろって遊んだのかな・・・。
2度の脳梗塞を克服した叔父は聞いていたよりとても元気でパソコンもやれるほどに回復しておりました。京都に嫁いだ従妹がよく見ているようです。お会いできてとっても良かった。次回の再会を約束してお別れしました。