朝食バイキング
※紅茶をお願いしたらローズヒップテーが・・・。
ソフィア市内観光。生憎の雨です。あらかじめに配られたガイドブックにはソフィアの4月の平均最高気温は15.7度最低気温4.8となっておりましたが、北海道と同じ位の緯度と言いますから寒いわけですね。平均気温を大幅に下回りました。ライト・ダウンコートを持参してきて正解でした。
アレクサンドル・ネフスキー寺院入場観光。
中央広場に堂々と鎮座するソフィアを代表するモニュメントの一つ。ブルガリアで最大の規模を誇る教会で高さ60メートル、内部には5000人が収容できるとのことです。黄金のドームを戴いています。ブルガリアをオスマン朝からの解放に導いた露土戦争で亡くなった20万人のロシア人兵士に対する感謝慰霊の為に1882年着工し1922年に完成した寺院です。ロシア人の建築家ポメランセフの設計によるものでネオビザンチン様式の建物です。内装に使用されたさまざまな大理石はギリシャ・エジプト・ブラジル・イタリアなどから輸入したものだそうです。3つの大きなシャンデリアはドイツ製。地下室はイコン博物館になっており多岐の時代に亘る貴重なイコンを展示しているそうですが、見学はなし。館内は撮影禁止でした。フレスコ画やシャンデリアの素晴らしいこと、目を見張るようでした。
「イコン」は正教会で用いられる画の事で聖像と呼ばれイエス・キリスト、聖人、天使聖書における重要な出来事やたとえ話、教会史上の出来事を描いたものも言い、「フレスコ画」というのは壁に漆喰を塗りその漆喰が乾かないうちに水または石灰水で溶いた顔料で描く画の事です。
聖ゲオルギ教会入場観光
シェラトンホテルの裏手ビル群に囲まれた所に在りました。現存するソフィア最古の建物と言われ古代都市セルディカの一部。4世紀にたてられた円形の教会の内部に12~14世紀に描かれたフレスコ画が残っています。オスマン朝時代はモスクとして使用され、壁を彩っていたフレスコ画は漆喰で塗り固められていましたが、その後20世紀になって漆喰の下からフレスコ画が発見されたということです。教会裏手にはローマ時代の浴場跡が残っていました。
聖ニコライ・ロシア教会
1913年ロシアの外交官セモントフスキ・クリロの命令によって聖ニコライをお祀りするため建立された教会です。中へは入らず外観だけの見学でしたが、雨の歩道から見上げた教会。一目了然モスクワにある教会(こちらのは小規模ですが・・・・)を思い出しました。金色の尖塔が綺麗でした。
市内観光(国立博物館→国立美術館→ブルガリア中央銀行→大統領官邸前)の後、ソフィアの街から南へ128キロ。美しい山沿いの道を2時間半ほど緩やかな起伏の田園風景の中を気持ちの良いドライブしてリラの僧院に到着しました。
暖炉のぬくもりが有難かったレストランでランチ。リラの僧院の見学前に・・・・。
リラの僧院(世界遺産)入場観光
写真やDVDで何回も見ていたリラ僧院の実物を目にした時は凄く感動しました。標高1150メートルの地にひっそり佇む僧院はブルガリア正教のシンボル的存在の聖地だそうです。創始者は10世紀のイヴァン・リルスキーが隠者としてこの地を訪れて、小さな寺院を建てたのが始まりだそうで、彼の死後大勢の僧侶も訪れて寺院も次第に大きくなって14世紀の初めにほぼ今と同じ形になったといいます。第2次ブルガリア帝国時代は歴代の王様の寄進を受けて大いに繁栄し、キリスト教の信仰の制限されたオスマン朝統治下でも変わらずに活動を続けて最盛期には3600人の修道僧が寝食を共にしていた僧院だそうです。規模が大きくて驚きました。
聖母誕生教会
中庭の中央に陣取る教会で周囲を4階建ての僧坊に囲まれていました。1883年大火で焼け落ちて、その後再建された5つのドームを戴き外壁も天井も色鮮やかなフレスコ画でびっしり埋め尽くされています。教会内部にあるイコノスタス(至聖所の前の壁)には大量の黄金で飾られています。壁面にいっぱいに描かれたフレスコ画は凄かった。内部の撮影は禁止でしたが、イコンも歴史を感じられる重厚のものが飾られておりました。
フレリョの塔
1883年の大火の難を逃れて現存する唯一の建物。セルビアの貴族フレリュド=ドロコボラの寄進により建造。14世紀に建てられて正面の外壁にはフレスコ画が残っていて殆ど退色してないそうで鑑賞堪えうる見事なものだそうですが残念ながら観る事が出来ませんでした。今も鐘楼と礼拝堂として使用され、1階部分は土産物店でした。
リラ僧院を見学して約3時間のドライブで今日の宿泊地プロヴディフのホテルへ到着しました。
今日のホテルはDEDEMAN TRIMONTIUM PRINCESS
※ホテル・パンフレット。
夕食
ブルガリアの交通機関
※バス・タクシー・トラム・地下鉄・列車。